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文士たちは何処へ行った?

みんな闇に堕ちた。


花は何処へ行った?
少女が摘んでいった。

少女は何処へ行った?
青年の元へ行った。

青年は何処へ行った?
青年は戦場へいった。

戦場は何処へきえた?
戦場は花畑になった。

花は何処へ行った?
少女が摘んでいった。

オカクロの記事を書いてる時に、ふと思い出した曲『Where have all the flowers gone』に見る永久ループです。
戦争や紛争が起こるたびに、歌われる反戦歌としても有名すね。

だが、これには重大な欠陥がある。
気付いて頂けただろうか?

そう。男の元にゆく少女。
その男が、俺であった場合、俺は戦場へは行かない。

もっと言えば、男が俺であった場合、少女は俺の所へは来ない。

もっと言えば、男が俺であった場合、少女は花も摘むまい。
もっと言えば、きょうび、戦争で汚染された土壌にはペンペン草すら生えない。

イチャモンつけて、すいませんでした。

別に反戦歌を貶すつもりは毛頭もありません。なんとなく、綺麗なものを汚したくなる時って誰にでもあると思うんです。
ないすか?

では、今日は何も考えず、思うがままに文章を書いてみます。

ともかく、世の中って綺麗事じゃあ回らないよなぁ――って俺なんかは思うんすよ。

例えば、歴史を振り返ったとき、地上に楽園を作ろうとした人たちを無数に見つけることができる。
だけど、そのほとんどが酸鼻極まる終幕を迎えてるワケっすよ。

理想は大事だけど、現実的な場所に足がかりを持たないと、その理想も結局は絵に描いた餅でしかない。
だけど、それを認めず、盲目的、盲信的に理想を追い求める人たちがいる。

極端な場合、その理想主義者たちは自他の区別なく血なまぐさい所業に手を染める事になる。

これ、思想うんぬんじゃなく、心理学の問題だ。

ポイント・オブ・ノーリターン、いわゆる『引き返せない地点』を過ぎた人は、どれほど論理的錯誤に気付いていても、それを認められなくなるそうだ。

カルトやコミュニストが行き過ぎるのはそこに原因の一端を求める事ができる。

間違いを認めたら、自分のやってきた事、それに費やした時間、金銭、それらが無駄になる。
それを無意識に恐れ、都合の悪い事を前にすると、目を閉じ、耳を塞ぐというワケです。

まったくもって、非合理極まりない。
これをふまえて考えれば、興味深い――

と、ここまで一気に書いて、自分がつまらん事を書いている事に気付きました。

あと五行も書けば、このポストもポイント・オブ・ノーリターンになるところでした。危ない、危ない。

飲み屋でクダ巻いてるオッサンでも、もう少し面白い話をするっすねw

ん……果たしてそうかな?

例えば、飲み屋のオッサンって、『昔はワルかった俺』自慢が多い。
そして、多くの場合、『そこから更正した立派な俺』自慢へと話が繋がってゆく。

でも、昔の悪行を笑い話にしてる時点で、なんも更正してねぇよと俺なんかは思うんすよね。
『もう時効だから』とか笑いながら言う。
それってメンタリティーが1ミリも成長してねぇよ、と思うんすよね。
いや、俺も悪党だから批難する権利はないんすけども。

つまり、ワルかった自慢する奴は、今もワル。しかも、しょっぱい小悪党の類であると。

こういうのを見てると、『人は変わらないのかも』と思う。人は結局、自らの性格ってやつと一生つれだって行くのかな、と。

じゃあ、その性格はいつ決まるのか?
性格決定における、ポイント・オブ・ノーリターンはどこなのか?

これを掘り下げてゆくと、少し面白い。が、ダラダラ書きすぎて冗長かつ散漫になってきてるのに薄々気付いてるので、やめておく。

賢明な俺はこのポストのポイント・オブ・ノーリターンに到達する前にリターンします。

かくして、自分を賢明だと思いたいが余りに、いつもあと一歩を踏み出せない。言い換えれば、臆病なだけ。

えーっと、この臆病な性格になったのは、いつからなんだ?
まだ、引き返せます?

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