こう、もう11月になった。
11月といえば、いっちょまえに俺の誕生日などがあったりする。
いっちょまえに11日で、ポッキー&プリッツの日と被っていたりもする。
これはちゃんと明確にしておきたいんだけど、俺のほうが先だからな。
いやね、誕生日を聞かれて、それに答えるとかなり高い確率で――
「あーっ。ポッキー&プリッツの日ですねー!」
と言われる。かなり高い確率というか、ほぼ言われる。毎回言われる。
こうなってしまったのはいつからだろう? と思い返した時、ニュータイプが自分以外のニュータイプの接近に気付いたときの「ポキューン」がごとく、俺はグリコがCMを放送してからだと気付いた。「ポキューン」ってなった。
ソレ――つまり忌まわしきCM放映以前は
質問者「あーっ。ゾロ目なんですねー。すごーい」
松閣「そうでしょう、そうでしょう。ちなみに世界平和記念日でもあるのだよ? どう思う?」
質問者「わぁ、素敵! 抱いて」
と、誕生日だけで女を抱けた。
ある年のことだ。忌まわしきCM(長いので次から『Abominable Commercial message = ACMとする)が初めて放送された年、俺はソレ(ACMのこと。口に出すのも忌まわしいので、次からは『ソレ』とする。発音の際は忌まわしそうに顔をしかめる)を見て、鼻で嗤った。
「11月11日は『ソレ』の日だって? また無知な消費者に無駄な消費を煽る、むなしい洗脳広告か。1を棒に見立てているらしいが、そうはいくか。1は棒などではなく、『i』だ、『愛』なんだよ。社長が誘拐されてから30年以上経つのに、まだそんな事もわからんのか、グリコよ」
とか見下していた。
実際、『ソレ』が放映された最初の数年はみんな「バカらしい」と言っていた。俺は観察してたから、よく覚えているのだ。みんな全然『ソレ』を買ってなかった。俺は大企業に勝った、と得意な気持ちだった。
なのにどうだ。あれから年月が流れ、毎年常軌を逸する量の洗脳広告にさらされてきた民衆は、いつしか疑いを持つこともなく
「『アレ』の日ですね! 誕生日プレゼントどうぞ!」
と、すっかり『アレ』を受容してしまっており、あまつさえ『ソレ』を俺に手渡そうとすらする。
こう、靴磨きの箱の中に爆弾が仕掛けられてるとも知らず――その爆弾が自らを、そして対象者をも死に至らしめる恐ろしいテロの道具とも知らず「お願い、靴磨かせて?」と言い寄ってくる、子供のように。
これは悲劇であるとさえ言える。グリコの尖兵にされた者に罪はない。みな、良かれと思ってやっているのだ。
俺はほだされた。
いつしか、『ソレ』を受け取って喜んでいる自分を発見した。
「『ソレ』の日なんですね!」
と言われても、
「ふふ、まぁね」
と、どこか誇らしげにすら応じてしまう自分を発見していた。
別に俺が凄いわけじゃなく、そもそもは居場所を奪われた――モーゼがエジプトを追われたかのように――アイデンティティを盗み取られたにも関わらず、俺は誇らしい気分になってしまうのだ。
美人にポッキーだのプリッツを貰うと、グリコに感謝さえしてしまうようになった。股間もすっかりポッキーだ。
まるで、昔は豪胆で知られ、新兵たちに恐れられてさえいた傭兵が、子供なり養子なりを育てる過程で様々なことを学び、いつしか丸くなる事象、つまりは「牙を抜かれたアイツ」現象と似ている。
もちろん、子供なり養子なりがピンチになったら、昔の装備とか取り出してきて、豪胆な一面を存分に復活させるのだけれど、この場合――俺の場合、「子供なり養子」にあたるのが、ポッキー&プリッツになってしまう。
俺は忌まわしかったモノ、口に出すのも憚られるように感じていたモノのために、命を賭して戦うのだ。そしてたぶん死ぬのだ。たぶん勝つには勝つけど、戦いが終わった後に敵が卑怯な事をして、それで死ぬのだ。
かくして、俺は
「フッ、ヤキがまわったな……」
とか何とか自嘲的に笑って、ポッキー&プリッツの日に殉じる。
「だが、悪くない」
とかも言う。
そうして、俺の墓には、ささやかな数輪の花だけが供えられ、やがてそれも忘れ去られ、歴史からも消えてゆくのだ。
ときには、歴史家が埃をかぶった古文書から俺という人物に触れた記述を見つけだし、自分の著作に引用したり、紹介するかも知れない。それを読んだ数少ない人は涙腺をゆるませて感傷に耽るかも知れない。
だがそれだけだ。
そんな感傷も感情も、すぐに上書きされ、忘れ去られてゆく。
またある時代には、俺はあるゲームの、数あるキャラクターの中のひとりとして、女体化され、マニアたちに萌えられてるかも知れない。インターネットで俺のことを検索しても、美少女化され、いかがわしく肌を露出させた俺の画像しか出てこなくなるのだ。中には俺で抜いたりする奴もでてくる。同人誌もよく売れる。
その頃には『ポッキー&プリッツの日』などという、コマーシャリズムに汚された11月11日は、その売るべき商品も、販売する企業もなく、ただ概念だけが残香となってほのかに痕跡を残しているに過ぎなくなっている。
毎年、11月11日になると子供たちが
「おじいちゃん、ポッキー、プリッツってなあに?」
と老人のあぐらの中から質問するのが、恒例となるが、毎年老人たちは答えに窮する。
毎回
「さて、なんだったかな?」
と、さも過去には知っていたかのように振る舞う。
俺が消え、グリコが消え、ポッキーもプリッツも消え、ただ世界平和記念日だけが残る。
その頃には『平和』は当たり前の概念となっており、次の改定で辞書から項も消えるらしい。
ただ、皆に忘れ去られても、事実だけは消えない。
11月11日、たかが365分の1日のために、命を賭して戦った男がいたという事実は。
Happy Birthday(の2日前)!
ゾロ目イイですね~!羨ましいです。
いくつになってもお誕生日は特別な日です。おめでとうございます。松閣公を頭の片隅ポッキーを食べたいと思います。
なお、このコメントは2日後に読んで下さいね。
>>レオパード月光さん
みちゃった。ので、また明日にもう一度やり直しをお願いしますね?
やり直さないわけにいきますまい(^^)
オルタさんお誕生日おめでとうございます!
>>レオパード月光さん
わぁ、やった! ありがとうですー 俺のようなゴミ虫の誕生日を知っていてくれてありがとうです
せっかくなので、コンビニでケーキ買って来ます
お誕生日おめでとうございます!
11月11日は蒼井そらも誕生日みたいですよ。
1を棒に見立てているのでしょうか?
>>ジンさん
1を棒とか、そんなことが許されてはイカンのですよ。1は愛。愛は1。
つまり、「only one」も「ただひとつの愛」なのですよ。
それを11月11日にあてはめると、4つの愛、つまり古代ギリシャ人が提唱するところのすなわち
・ストルゲー、家族愛。
・エロス、性愛。
・フィーリア、隣人愛。友愛
・アガペー、神的な真の愛
これが11月11日に対応する4つの愛なのです。
ゆえにこの日が世界平和記念日に選ばれたのですね。
なのに最近、中国では『独身の日』などと呼び始め、また消費者を騙そうとしているのです。
これは我々が一致団結して戦って行かねばなりません。そう、愛のためにね。
愛深き故に愛を棄てた非情の帝王も最期には愛の温もりを思い出したくらいですよね。
all you need is love.1 is all ,all is 1.
さすが松閣さん、そこにシビれる!あこがれるぅ!
>>ジンさん
ふふふ、おだてても精液しかでませんよ?
松閣さんはじめまして。
お誕生日おめでとうございます!
お誕生日と聞いてコメントしに来ました。1日過ぎちゃったけど……。許してもらえますか?
ちなみにQUEENの『手をとりあって』と同い年の主婦です。QUEENは胸熱ですよね。Coccoもくるりも好きです。
そんなことより、松閣さんの1年がまた素敵な1年でありますように。
みんなもっともっと松閣さんの書かれた作品を読むといいと思う。
なんにもSNSやってないけど、陰ながら地道に拡散します。
>>辻さん
いやはやわざわざ、ありがとうです、松閣です。いっちょまえに年をとりましたw
自分などの書いたものは、正直たいしたことないと思ってるのですが、褒められると嬉しくなります。ありがとう
今後ともマイペースではありますが、自分なりに頑張りたいと思います、押忍!
お誕生日おめでとうございます(о´∀`о)♪
だいぶ過ぎてしまってるので さかのぼって味わってください。
iをこめて|( ̄3 ̄)♡
>>くにさん
時間差だけどありがとうですw
いま、遡って、『i』を感じています。でもどちらかというとアルファベットも遡って、『i』の1つ前の字のほうが好みですので、 ご一考よろしくお願いしますm(_ _)m