twitterで誰かがわらってた

それはとても晴れた日で


皆が忘れた頃に更新。

えっ? 忘れてない、って?
それは失礼しました。俺はさっきまで忘れていましたよ。

前回の更新が7月29日になってるから、もう3ヶ月ほど経ったのですね。

昔の人が「男子三日会わざれば刮目して見よ」とか言ってましたが、みなさんはどうですか? なにかお変わりありましたでしょうか? 3日の30倍ほども時間が経っているのだから、それはそれは目覚ましいほど変化されていると存じます。

「変化してない……」と少し悲しい気分になった方もおられるかも知れませんが、俺なども変化しておりませんので、仲間です。むしろすぐ変わるような奴は信用できない、って三国志か何かで読みましたので、我々には変わらない良さがあるのです。

それはともかく、こないだふとした呟きがTwitterで派手に拡散されたせいか、へんな政治的なDMを沢山頂いた。政治発言の恐ろしさを身に染みて体感したので、今後は政治的な発言は控えようとおもう。もともと政治議論とかする気も無いしね。

もともと、このブログはおろか、Twitterの短文でさえ面倒に思うほどの筆無精であるから、変な論争で長文を書くハメになるとか考えただけで怖気がする。最近のネット上に存在する議論や論争というのは、建設的――というよりは単にイデオロギーに基づいた自己顕示欲の発露、あるいはマネタイズを狙ったモノばかりに思えてならない。つまり、議論論争それ自体を目的にした言葉遊びでしかないと。
こんなこと言ったら怒られますかね? 怒られますよね。生意気ってすみませんでした。

「筆無精っていうけど、オカクロでアホみたいな長文書いてるじゃん」
とか浅はかな君たちは言うのだろうけど、あれも好き好んで長文になってるわけじゃないのですよ。
こう、上手いたとえが見つからないけれど――あれだ。

カレー。
そうカレー。

たとえばですよ、カレーを構成する有機物にはジャガイモ、にんじん、タマネギ、牛肉などがある。
『カレー』という概念を知っている人には

「いやー、きょうカレーでさぁ」
といえば、相手はこう考える。

「(カレー? ああ、なるほど、ジャガイモ、にんじん、タマネギ、牛肉などの有機物をカレールーと共に煮込んだ茶色いヤツのことだな)まじすかー、いいなー」

こうなる。
しかし、カレーという概念を知らない人には

「いやー、きょうもカレーでさぁ」

と言ったところで、伝わらない。
相手がカレーを知っているかいないか、その判別が難しいときには、以下のような発言がベターとなる。

「いやー、きょうジャガイモ、にんじん、タマネギ、牛肉などの有機物をカレールーと共に煮込んだ茶色いヤツでさー」

こう言っておくと、



■カレーの概念を知っている人の場合

カレーの概念を知っている人
「いやそれカレーだろ、カレーって言えよwww」

松閣「ハヤシライスです」



■カレーの概念を知らない人の場合

カレーの概念を知らない人
「ほう、ジャガイモ、にんじん、タマネギ、牛肉などの有機物をカレールーと共に? 茶色? もしかして、それは『人間』の排泄物を指したジョークかね? カレールーとは何かね?」

松閣
「ルー (roux) は、小麦粉をバターで炒めて[1]調理したもの。[2]ルウとも表記される(品名では「ルウ」と表記)本項では市販品のルーについて述べる。
概要[編集]デンプンがα化し、各種ソースやカレー、シチューなどの料理のとろみを出す。 伝統的なフランス料理の基本ソースのうち、ベシャメルソース、ヴルーテソース、エスパニョールソースはルーを用いる。
市販ルー[編集]小麦粉と油、また調味料(カレー粉、スパイス、食塩など)、スープなどを調理[3]して水分を飛ばし固めた、カレー用の製品が市販されており、これも「カレールー」や「ルー」と呼ばれることがある。同様の製法でシチュー用の製品も作られている。形状は石けん状に成形されたもの(固形ルー)やペースト状、フレーク状のものがある。これらは前述のハンドメイドで作成するルーに対して調理材料として商品化している事から「市販ルー」と総称される。
脚注[編集]
1^ カレー用のルーは焦げるまで調理する場合も。
2^ a b 広辞苑第5版
3^ バーモントカレー 別に調理し混ぜる製法以外にも、材料を一緒に煮て調理する製法が存在する
この項目は、食品・食文化に関連した書きかけの項目です。この項目を加筆・訂正などしてくださる協力者を求めています」

カレーの概念を知らなかった人(今はおおむね知っている)
「いやはや100%完璧にルーについて理解したわ。まじかー、いいなー」


■カレーのほのかな残香から、全てを察するカレー上級者の場合。

上級者
「C……いいよね」

松閣
「いい……」



■coccoの場合

cocco
「今日みたくカレーなら」

松閣
「きっと食べてた」



このように、より多くの人に理解してもらうには、より解りやすい記述が必要となるわけですよ。
ゆえにあまり知られていない事象に関しては説明が冗長となるし、話を砕かねばならない。

たとえば『ロズウェル事件』という単語に、対し
知らない人→「なんの事件だろう? ロズウェル氏に何かあったのかな?」

知らない人よりは知ってる人→「ああ、UFOが墜落した事件だっけ」

知らない人よりは、結構知ってる人「ああ、1947年7月にアメリカはニューメキシコ州ロズウェル周辺にUFOが墜落し、軍によって搭乗員の遺体も回収されたとか」

知らない人より造詣が深い懐疑派→「ああデマのね。残ってる議論があるとすれば『モーガル気球か他の気球か』ってだけだろ」

ある程度知っているけど、盲目的な人→「リメンバー、ロズウェル! トルーディ・トルーラブ!」

知りすぎた人→CIAに消された。

このように、当人の知識によって受け取られ方が変わってくる。有識者が知っている情報をもとにさらっと書くと、知らない人にとっては理解が難しく、つまらないと感じてしまうこともあろう。オタクにありがちなハイコンテクスト文化というやつだ。
個人的には興味を持った人に、広く門戸は開かれるべき――敷居は低い方が良いと思うし、「通にしかわからない」ようなモノが好きじゃないので説明過多の冗長文章になる。

そしてきっと、このオルタイムの熱心な読者は――そろそろハイコンテクスト的に――気がついておられると思うが、この項にオチはない。

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