やがて、ハッピーエンド 4

君のポストに届くよ。


Amazonをよく利用する。
ここで買えないものは、買う必要のないものだけ――そんな狂信者のような有様でAmazonを利用する。

「探してみろ。人生に必要なもの全てを、ここに置いてきた」とかなんとか、どっかの国民的海賊マンガみたいなセリフも浮かぶ。探すといっても検索ボタンを押すだけなので、その物語は一瞬で終わる。

1ヶ月ほど前、何気なく買ったものが届いていない事にふと気付いた。
調べてみると、中国からの発送になっていた。

日本名のショップだったので、てっきり国内からの発送だと思っていたけれど、そんなことはなかった。

ドロップシッピングとか何とかいう、ネットビジネスの人たちがやる胡散臭い販売手法だろうか。

荷物をインターネットで追跡してみると、まだ海上にあるらしい。はるばる中国から海を越え、山を越え、時代も世代も時間も国境も越えて、俺のところへピンポイントで向かってきている――と思うと、すこし嬉しくなった。

税関は越えられるだろうか?

海賊に襲われたりしないだろうか?

そんなふうに、郷里で恋人や子の帰りを待つ親のような気持ちになった。荷物の好きだった料理を用意しておこうかしら、などと、いささかに気の早い晩餐の準備にすら取り掛かった。

俺は、毎日のように日本郵便のサイトにアクセスして、荷物の追跡番号を入力する。
すると、いつ、どこを通過したか、というのが部屋にいながら分かる。

ああ、いまごろは室戸岬の沖あたりだろうか。黒潮が育んだ豊かな海を、俺のいる島国にむかって貨物船がゆったり航行しているに違いない。

ああ、きっとこちらに着く頃には南国の日差しに焼けて、荷物もすっかり逞しくなっているに違いない。
立派に成長した姿を、荷物のお父さんにも見せてあげたかった。

私は、そうして、毎日のように郵便局へ出向き、壊れた蓄音機のように毎日同じことを職員に聞く。

「すみません……今日も、荷物はやってきませんか」

すると、職員はウンザリとした様子で眉をひそめる。これもまた、壊れた映写機のように終わらない毎日の中にある。

「またアンタか。何度言わせるんだ、来てないのはアンタが一番知ってるだろう! 毎日、朝昼晩、毎食後と追跡サイトをのぞいてるんだからさ! 仕事の邪魔だから、もう来ないでくれ!」

私は郵便局を追い出される。
そして、行くあてもなく――天国にも、地獄にも行けない、ひとりぼっちの寂しい亡霊がごとく――街をさまよう。

スラムに差し掛かったところで、ボロ毛布を頭からかぶった怪しい男が、私に声をかけてくる。

「へ、へ、知ってるぜ? アンタ、荷物を待っているんだろう? へ、へ、俺は知っているぜ。なんでも知っているのさ」

虚無を宿した私の目に、その男の卑屈な笑みが染み込んでくる。なんでも知っているなら、私の気持ちもわかるはず――私は思う。放っておいてくれ、私は、ただ待つことしかできず、そして、ただ待つことすらできない人間なのだ。ただ人生の一切が過ぎてゆくのだ。全ては徒労。

荷物が頑張って私の元に向かって来ているというのに、私は荷物になにもしてやれない。私こそ、社会の『お荷物』なのだ。卑屈なボロ毛布さん、アナタの笑顔すら私に向けるにはもったいない。

「へ、へ、アンタ、荷物が早く着く方法を教えてやろうか? もちろん、まっとうな方法じゃあないがね」

男がそんなことを言う。
地獄で罪人を苦しめる鬼たちは、きっとこんなふうに笑うに違いない。きっと、地獄でさらに罪を重ねさせるような、そんな誘いに違いない。

だが、私はとうてい抗えない。

やれることは、全部やりたい。ワラにもすがるとはこの事だった。
自らの無力が覆せるなら、鬼にも悪魔にも魂を売ろう。なるべく高値で売りつけてやろう。

ボロ毛布はそんな私の気持ちを見透かしたかのように口角をゆがめ、いくつかの指示を出した。
それはシンプルな指示だった。

必要になるのは多額の金――だが到底、私のなけなしの貯金などでは追いつかないほどの、金。

そうであっても、そうでなくても関係ない。私は無言のまま頷き、すぐさま部屋へ飛び戻った。

そうして家財道具、プレステ4からtakamineのギター、電子レンジからパソコンまで、全てを質屋に売り飛ばした。見栄をはったがプレステ4は持ってなかった。スマホも売るに売れなかった。

そうして得た、金貨3枚。銀貨2枚。
そんなものでは全然足りない。

私は部屋の権利書をもって、近所の資産家の元へ駆け込んだ。

こざっぱりとした背広を身につけた彼は
「ふむ、ちょうど投資用の物件が欲しかったのだ。ボロい部屋だが、誰かに貸して不労所得をえることにしよう」と、私の目も見ずに言った。

そうして、私は新たに金貨1枚を手に入れた。

片手に握り込める全財産。人生が手のひらの中に――数枚の硬貨となってキラキラ光っていた。上手く言えないけれど、きれいだな、と思った。

私がスラムに戻ってくると、ボロ毛布は少し驚いたような顔をして、やがて訝るように訊いてきた。

「用意できるとは思えないが、用意できたのかい?」

私は、強く握った手のひらをそっと開き、ピカピカに輝く私の人生の値段を彼に見せた。

やはり、想像したのと同じように、彼はすぐさま表情を曇らせ、首を振った。

「話にならん。そんな小銭じゃ、シマの上役に会うことだってできやしないさ。荷物の事は諦めな」

私の手の中にある『全て』では、たりない。だが、私にはもう、なにもなかった。
きっと、成績の悪い、下っ端の悪魔や死神だって私の魂に硬貨1枚払ってはくれまい。

「だが」ボロ毛布は笑った。「アンタの気持ちに免じて、俺がなんとかしてやろう。ついてきな」

彼は少し臭う毛布を地面に引きずりながら、スラムの小道へ入っていった。
私は硬貨を再び強く握りしめ、彼の後に続いた。

小道を抜け、ゴミだらけの公園を抜け、誰もいない旧市街を抜け、やがて港付近へやってきた。

ようやく――荷物と会える。全てを失ったけれど、それは全てじゃない。私にはまだ荷物がある。

やり直せる。もう一度。

荷物と一緒にやり直そう。それはきっと、平坦な道ではないけれど。

「ここさ」

ボロ毛布が立ち止まった。
そこは高く積まれたコンテナの谷間。この中に荷物があるのか。私はぐるりと周囲を見渡した。

だが、視界が一周する前に、目の前が真っ白に染まった。遅れてやってくる、激しい痛み。

私がうずくまると、ボロ毛布は手にした鉄パイプでさらに私を打ち据えた。

何度も、何度も、何度も叩かれるうちに、血が目に入って視界も奪われる。

彼は倒れた私の手首をボロ靴の底で踏みつけ、握った手のひらを強引に開かせようとする。
私は生命力の全てを注いで、硬貨を強く握りしめる。

「諦めが悪いぞ!」

その言葉とともに、頭部に重い衝撃がはしった。手のひらから力が抜けてゆく。もう強く握ることも叶わない。
やめてくれ、これは、大事なお金なんだ。荷物のためのお金なんだ。私はどうなってもいいから、それだけは、それだけは。

私は、そんな言葉を発する力すらなく、なにも守ることができない。無知は罪で、無力は大罪だと誰かが言っていた。それなら私は、無期懲役か死刑になるのだろう。

彼が手首を踏みつけたまま、私の人差し指から順に、拳を開かせてゆく。

「ここでなにをしている!」

溌剌とした声がコンテナの谷間に反響して、遠く木霊をきかせた。
その瞬間、手首を踏みつけていた圧力がフッと消え、走り去ってゆく足音が聞こえた。それもまた、反響し、やがてかすれて消えた。

「大丈夫か!」

うつ伏せだった体が、強引に仰向けに直され、それとともに顔面を流れていた血液の川が、流路を変える。冷えた皮膚に血液が温かい。
薄眼を開けると、おぼろげに、紺色の服と金色のバッジが見えた。これは警備隊のものか。

「死んでるのか?」

「いや、まだ生きてるな。まぁ、まだ、でしかないが」

「見ろよ。この手。金貨かな?」

「よし、頂いちまおう。飲み屋のツケが溜まってたんだ。どうせ死んじまうなら、有効に使わせてもらおうぜ」

私の手の中から、私の温度の移った金貨と銀貨が、失われた。それは私の全てだった。
だが私は泣くことさえできない。私にできる事は、ただ死にゆくことだけ。

「他に金目のモノはもってないか? どれ」

「こいつ、生意気にスマホなんて持ってやがるぞ」

「そいつもデータを消して売っちまおう」

「なんだ、メールがきたぞ。配達先不在通知? 後日配達の依頼は以下の番号まで……。だってよ」

「ふん、しょうもない。消しちまえ。そろそろ夜勤の連中がくるぞ。ここは見なかった事にして、あとの面倒ごとは、奴らにまかせようや」

私の荷物は、どうなるのだろう。
人は死に際して、人生を回想する走馬灯を見るという。だが、私には何も見えない。虚無な人生には、振り返るべき何物もないのかも知れない。私はただ生きて、ただ死んでゆく。ページは真っ白なまま、生と死の間には句読点がひとつだけ。

遠くで海鳥が泣いている。
沈みゆく夕日を惜しんだか、あるいは私のために、と思うぐらいの傲慢は許されて欲しい。せめてあの一羽ぐらいは悲しんでくれている。そう信じたい。
そう、信じてもいいだろうか。


かくして、松閣は身元不明人として処理され、焼かれ、散骨と称して、おざなりに海に撒かれた。

彼の荷物は――彼が待ち続けた「まるごと痴女オムニバス 逆ナンパ3時間スペシャル スレンダー編」は、やがて棚から降ろされ、廃棄されるだろう。

灰になった松閣は、いま魚たちとともに、黒潮に乗っている。イルカとともに北から南、クジラともに西から東、七つの海を巡って、七つの大陸を旅して、やがて室戸岬へ帰ってくるだろう。

これは、誰も知らない帰郷の物語。

4 thoughts on “やがて、ハッピーエンド

  1. Reply コネリ 12月 5,2017 7:56 PM

    松閣さま。
    初めまして。11月11日生まれの者です。

    涙が出ました。なんでかはわかりませんが。

    • Reply まつかく 12月 6,2017 12:06 PM

      >>コネリさん
      それは奇遇ですね。そしておそらくその涙は、コネリさんの知らないコネリさん――すなわち遙か遠い前世のコネリさんが、やはりポッキー&プリッツの日に殉じたという証なのではないでしょうか。

  2. Reply ジン 12月 7,2017 11:32 AM

    なんと偽名仮名はフィクションと思いきやノンフィクションのうえにまつかくさんの実体験だったとは!恐ろしい子!あと206夜よろしくお願いします!

    • Reply まつかく 12月 8,2017 6:19 AM

      >>ジンさん
      短編のほうはまったく書かなくなったすよねー。
      ブログと同じに最初の1行書いて、そのまま最後まで一気に書くパターンだから「いつでもできるや」って甘えがあるのだと思います。実際、いつでもできるや。
      365夜まであと206もあるのかw 1000話書いた星新一は偉大

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