ある日 父親は見つける。娘がストリート出の黒人と暮らしているところを。 2

きっと彼は失望し、怒り狂うだろう。でもリサは僕と一緒に居てくれる。
彼女は信じているんだ。いつか、父親だって理解してくれると。
僕が黒人である前に、ひとりの人間であることを。

Blessid Union Of SoulsのI Believeにでてくる父親がトランプ大統領の姿で脳内描写される松閣オルタです。
理解してくれるかなぁ。どうかなぁ。グレートなアメリカっていったい何なんだろうな。

ともかく、怪奇秘宝の記事のほうなかなか好評なようで良かったです。買ってくれた方ありがとうです。
しっかし、世の中なにがあるかわからんもんですよね。継続は力なりと古人は言ったそうだが、これは正しいのかもですね。

ときに「はまり込めるモノがあって羨ましい」
と言われることがある。皮肉まじりか、そうでないのかは判らないけれど、小説書いたり記事書いたりするために調べ物に熱中できるのが羨ましいと。
「まぁ、趣味だから」と返すのだけれど、「趣味があるのが羨ましい。趣味がない人生はむなしい」とさらに羨ましがられる。
これが良くわからない。自慢したいわけでもないのに羨ましがられると、なんだか申し訳ない気分になってくる。

聞けば、何をやっても、すぐ飽きがくるし、はまり込めないのだと。これは多くの人がそうらしい。

「○○さん。パチスロやるんでしょ? だったらスロットの研究とかでもしたらいいんじ――」
「研究したところでなぁ。必ず勝てるわけでもないし、どのみち台の入れ替えもあるし。パッと行って、さらっと勝てればいいよ俺は」

こう言われると、「なるほどっすねー」しか言えなくなる。なるほど資金的な意味でも、時間的な意味でもハマリ込めないのだなと思う。
年を取ると興味対象が減ってゆくという話があって、少なくとも俺の身の回りにはそういう人が多い。結局、余暇にやることがないからパチンコ屋へ――という流れらしい。

なんとか人生を豊かにしてほしい――とカウンセラーのごとく話を引き出してゆくと、結局は「好きなモノがない」そして「金もない」という所に落ち着く。
俺などは短絡的だから、「かわいい子好きでしょう? アイドルの応援とかどうすか? アイドルオタの人、みんな幸せそうですよ」と豊かな人生かどうかは別として前向きな意見を出す。

けれど
「なんか、そういうのキモいじゃん? 握手券? とかそういうの? もっとちゃんとした意見出せよ」
とかいう。

このあたりで、俺は少し面倒になってくる。そもそも、俺は自分のことで忙しいのだ。なぜ人の趣味をプレゼンした上に駄目出しされんといかんのか。
しかし、乗りかかったヤマだから――と前向きに意見を出す。

「ジオラマとかどうすか? ジオラマ面白そうすよ。ほらザクⅡ改がアレックスにヒートホークで斬りかかって、ちょっと装甲が溶けてる感とか格好いい。べつにガンプラじゃなくても、情景ジオラマとか面白そうすよ。俺、荒廃した世界のジオラマやってみたいすねー。ほら倒壊しかけのビルにツタが這って、こう、ビルの室内を樹木がブチ抜いてる人類死滅500年後感の――」

「オタかよ。暗いじゃんそういうの」

「じゃあ、ゲームとか。Gジェネレーションとかで、バーナード・ワイズマン伍長のレベルを上げまくって、ザクⅡ改で新型ガンダムどもを無双――」

「そういうのいいから。俺はもっとアウトドアな趣味が良いんだよ。オタかよ」

俺は急にやる気をなくす。

「はぁ。じゃあ、山登りとかいいんじゃないす」

「装備に金がかかるし、一人で登るの無謀だし、そういうサークルに入るのも気が引ける」

「はぁ。釣りとか。タキタロウ釣りに……」

「釣りも装備に金かかるだろ。気軽にいけないし」

結局、本人の希望もあって、フットサルだの、バスケだのに落ち着く。

だがそれも一人では出来ないために、どこかのサークルに属すか、自分でメンバーを集めるしかない。そこで、たいてい以下の発言が来る。

「松閣。一緒にフットサルやろうぜ。良い運動になるぞ」

俺は断固拒否する。
スポーツは野蛮であると、極論まで出して反発する。
本音を言えば、体育会系わんさかの中に放り込まれるのが嫌なのだ。やつらはラッスンゴレライやPPAPに本気でウケたりする人種であるのだ。スポーツが野蛮なのではなく、スポーツマンが野蛮なのだ。ゴブリンかよと思う日もあった。ホブゴブリンかよと思う日もあった。

こうしておれはふと気づく。
こういう「無趣味」を自称する人たちは、多くの場合、スポーツマンだった。これは発見かも知れない。
スポーツマンは、スポーツという活躍の場がなくなれば、ゴブリン、ないしホブゴブリンになるのではないか。

学生時代ならともかく、社会に出るとスポーツの敷居は極端に高くなる。
平日は仕事で疲れているし、加齢の影響で休みの日に体力を使うのも億劫になる。

それでも社会に出て数年はサークル的に活動するのだろうが、そんな仲間たちも数年も経てば集まりを休みがちになったり転勤したりする。
かくしてサークルは有名無実。やがて自然消滅する。
そうして各個のゴブリンたちがやることを見失って、自覚するのだ。「スポーツの場を失った自分は、ゴブリンではないか」と。ああゴブリンさ。

これは報いなのだ。
サッカー部と言うだけで女生徒たちにチヤホヤされ、帰宅部やインドア部(特に将棋部)を見下してきた報いなのだ。

将棋部なんてな、そこに属しているだけで告白したときに「恋愛対象外w」と女生徒に半笑いで言われるんだぞ。俺の友人の実体験だから間違いない。
そいつは俺に出来事を打ち明けたあと、言ったよ。

「歩じゃあ……飛車には勝てないなぁ」

俺は言ったよね。
「歩だとしても、敵陣に最奥まで行って『成れ』ば強くなるんだろ?」

するとヤツも言う。
「成っても『と金』だよ。使い勝手の良い、金。使い捨ての、みじめな駒さ」

俺は面倒くさくなって、「ふうん」で話を終えた。

いわゆる『将棋部の悲劇事件』はともかく、インドア部だったヤツらは、だいたい今でも多趣味のヤツが多い。オタ気質が趣味に没頭させるのだろう。
学生時代、オカルト研究会などがあれば、俺の人生も違ったかもなぁ――と思うけれど、残念ながら俺は帰宅部で、当時はオカルト好きであることは世間に伏せていた。モテないと思ったからだ。しかし伏せていてもモテはしなかった。

アウトドア系のやつ。インドア系のヤツ。
身の回りを比較してみると、アウトドア系は早くして結婚し、インドア系は30を超えても未婚のヤツばかり。アウトドア→インドアに転向したモノも未婚。
はたしてどちらが豊かな人生なのか。俺には到底評価できない。
ただいつの世も、手の届かない葡萄はきっと酸っぱく、隣の芝は青いのだろう。

2 thoughts on “ある日 父親は見つける。娘がストリート出の黒人と暮らしているところを。

  1. Reply さび 5月 12,2017 6:10 PM

    中学生の頃にモバスペで13月を読んでから大っファンです!!姉や友達に布教してます!

  2. Reply まつかく 5月 17,2017 12:31 AM

    >>さびさん
    返事遅くなってすみません、まつかくです。
    わざわざ布教してくれているのですか。それは素晴らしい、善行ですね。天国の門はさびさんに開かれるでしょう。残念ながら俺は地獄なので会えそうにないですが。
    ともかく、「ニーズがないからいいや」って最近放置しっぱなしだったのでそろそろ続きを始めますね。ありがとう。

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