もしも100匹目の羊が100匹目でなかったら 2

羊「それは残像だ」

松閣です。
目を閉じて眠る時、たまにそんなふうに物語が広がります。
実は羊の仮装をしたヤギも混ざってたりします。ちなみにヤギも残像です。
100匹のはずなのに、カウントは101だったりする時は、妊娠です。おめでたです。

今日はもうベッドに入ってるので、ダラダラとiPhoneでこの文章を書いてます。
たまには夜伽話というか、寝る前に雑談的な何かを書きます。

たまーに
「文章の書き方を教えてください」
だの
「自分の文章どうですか」
と言われる事がある。
はっきり言って、どう対応すれば良いのかわからない。

文章作法はともかく、人にはそれぞれの書き方があって、その良し悪しは俺のような者には判断がつかないのです。

朝食を吐き戻すぐらい村上春樹が嫌いな人もいれば、村上春樹でオナニーするという変態も世の中にはいて、結局は好みの問題だと思うのですよ。

だから、俺の主観でああだこうだアドバイスしたところで、その文章が俺好みになるだけで名文だの美文だのになるわけじゃない。
村上春樹でオナニーする奴の観点に立てば、あれはエロ本という事にもなる。結局は読み手次第なんすよね。

だからアドバイスする時は決まって
「読者視点で書いたほうが良い」
とだけ言います。
自分なりに読みやすさを追求したほうが良いのでは、と。

客観的に自分の文章を読むというのは難しいかも知れないが、なるべく作者としてでなく一読者として読んでみる。
そうすると、独りよがりの表現やら、意味のわかりづらい表現に気がつく。そこを直す。

それを繰り返して、文章を研磨してごらんなさい。磨かれ、洗練され、再構築された自らの文章を読み返したとき、貴方は朝食を吐き戻すでしょう。

それでも、読み易くはなる。リーダビリティというやつですね。これは大事だと思う。

ある意味で、礼儀と言うべきなのかも知れない。「伝える」ことが目的である以上、前提となる文章が難解だと、結局書き手の自己顕示欲を満たすだけに終わる。
「こんな難読漢字を使って難解構文できる俺、カッコいい。わかりにくい? それは読み手の知能レベルが低いからだ」

いわゆる「意識高い系」か「重度の厨二病」という難病にかかった人たちに多いかな。ディスりたくはないこういう人たちの書く文章は、読みにくいだけでなく、つまらない内容であることが多い。端的に言うと、ペラい。オルタイムよりペラい。

『読んでもらい、伝えること』が主目的でなく
、『こんな文章を書ける自分を見て欲しい』が目的である場合が少なくないので、内容は二の次なのだ。むしろ内容なんてなくていい、ってレベル。

そうじゃなく、自分の「臭い」をなるべく消して読みやすさを追求したほうが良いと俺なんかは思うわけっすよ。「究極形態は新聞記事」だと思ってる俺に小説を読ませるのが間違いなのですよ。
読みやすさという土台の上に、面白いストーリーなり、冗談なりを、必要なら詩的な表現を乗せればいいと。うむ。

今度から、前述した「どうすかメール」が来たら、ここまでの文章を転載してやろうと思う。ふふふ。

ちなみに、これを書いてて思い出したブログ記事を紹介させていただく。
俺に語らせたり、世に溢れる「文章が上手くなる10の方法」などのライフハック記事の100倍以上はためになる記事だと思います。

「読んでもらえる文章」って一体どう書くの? 須場ブログ

ここで引用されている内田樹氏の「リーダビリティとは」と題された文がすごく心に響く。
たまに読み返して自戒してます。
書き手の「読んで欲しい」という強烈な懇請がない文章がつまらないのかもすね。

長くなったけど、ダラダラ雑談おわり。
村上春樹でオナニーして寝ます。

2 thoughts on “もしも100匹目の羊が100匹目でなかったら

  1. Reply 須場 6月 6,2016 9:16 PM

    須場ブログの須場です。リンクありがとうございます。

    松閣さんは、意見を聞いてくる相手のことを考えて、とても真摯に対応される方なのですね。
    読者視点で書く、自分なりに読みやすさを追求するというのはベストなアドバイスだと思います。
    そういう姿勢で書かれた文章には、読ませる力がありますよね。

  2. Reply まつかく 6月 12,2016 12:33 AM

    >>須場さん
    まさか記事を書いたご本人からリプがあるとは思いませんでしたw 大変ためになる記事なので紹介させていただきました。
    今後も参考にさせていただきます、押忍

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