余白の言葉があった時代 2

ブログ、というのは何を書く場所なのだろうか。

昔、駅には掲示板があった。
ちびっちゃくなったチョークが備え付けてあって、誰でも自由に書く事ができた。



『帰ります』

俺も幼い頃、そんな黒板を見たことがある。
黒板の端っこに、チビたチョークのせいで文字が一部は細く、あるいは太く、伝言があった。『帰ります』とだけあった。

「はい」と思った。帰ったんだな、と。わかりました、と。

誰への伝言かも書いていない、誰の伝言かもわからない。

ずっと待ってたんだろうか。
『待ち人来たらず』で帰ったのだろうか。

今なら書いた人を取り巻いていたモノを少しは想像することができるが、幼い当時は何も思わなかった。

なんだか切ない伝言だと思う。

宛名も筆者も不明な手紙だ。

想像するに、書いた人は、自分のために書いたんじゃなかろうか。
区切りだか、決意だかが滲んでいるように思えてならぬ。

誰でも自由に書ける伝言板だけど、実は書くに値するモノなんて何もない。
だから『瀬田北中 最強』と自分の所属する集団への帰依を表明してみたり、あるいは下品な落書きをしてみたり、好きな人の名前を相合い傘の下に入れてみたり。
そんな無意味の片隅にあった『帰ります』は奇妙な印象を放っていた。

あれが人生で一番最初に触れた『情緒』だったのかも知れない。

想像する。
本当に、帰ったんだろうか。

『帰ります』と書いて、帰ろうとして、それでも帰れなくて、でも帰らなきゃで、でも悩んで、床ばっかり見て、通り過ぎてゆく雑踏に見知らぬ靴が右から左、左から右。
帰らなきゃ。

帰らなきゃ……。

通り過ぎる雑踏、見知った靴が目の前で立ち止まる。
「待たせたね」
見上げた先に、待ち人きたる。

そんな物語があったんじゃないか。

たかだか数文字に物語があるように思える。

ブログって何を書くところなんだろう。
『帰ります』は記事タイトルにもならない。

 

じゃあ、タイトルを無題にして、本文に『帰ります』にするか?

きっと、すぐにコメントがつく。

『出会えます! 確率100パーセント 女性完全無料』

オロローン!
なんだ、なんなんだ、この時代は!



なんで男性は無料じゃないんだ!
なぜフェミニストたちは男性差別する業者を糾弾しないんだ!?

ちくしょう、ちくしょう、ちくしょうめ……。

オルタイムのような弱小零細ブログにもスパムコメントが大量にきます。
書けば書くほど来ます。

俺は、業者がスパムコメントを書くために記事を投稿しているのか?

右もスパム、左もスパム、上も下もスパムスパム。

どうせ君もスパムなんだろう?
スパム業者なんだろう?
スパムコメントを今にも書きたくてウズウズしてるんだろう?

しかし、考える。
あの日のあの伝言板。
あれにもスパムコメントがついたら?
矢印つきで、書き込みに対してスパムしていたら?

『帰ります』←『出会えます! 確率100パーセント』

なんだか、かなり印象が違う。
まるで励ましているような、優しい言葉のような。

書く側のアウトプットが少ないゆえに、文に余白が生まれ、そこに想像が介入する余地が育つ。

最近のブログは『書きすぎ』なのかも知れない。書きすぎて余白がないのかも知れない。
想像で補完できる余白がなさ過ぎるのかも知れない。

つまり、読者に訴えかける理想型は以下の形となる。

タイトル:隣の奥さんの、あの件
本文:俺は知っているぞ!


 

あーッ 気になる!
どの件だろう、きっととんでもなくヤバいことに違いない!
あー気になる!

隣の奥さんにどんな秘密が!

しかし、謎を提示した以上は、回答がないと読者はカタルシスを得られまい。
ゆえに次の日はこうする。

タイトル:隣の奥さんの件
本文:マズい、感づかれた


 

あッー! 謎が謎を呼んだ!
もうね、読者はドキドキですよ。気になって気になって仕方がないに違いない。

謎の解明は遙か先に設定し、こうして読者を引っ張ってゆくテクニックを駆使すれば、面白いブログになるに違いない。
ブログ名も『隣の奥さん』にして――。話がそれました。

一般的、いわゆる普通のブログの記事もちょっとした味付けで変わるはずだ。

『今日、長野県に行って信州ソバたべてきたよー。おいしかったー』
これを、以下のようにする。

『信州ソバの秘密、俺は知ってしまった。世の中には知らなくて良いことが多々あるが、これはその筆頭に上がるに違いない。まさか、あの政府職員が裏で暗躍していたなんて……。ソバはうまかった』

なんか違うな。すんません。

こんだけダラダラ書いても、ブログを書く意義がわからない。何を書けばいいのか、何を書いちゃいけないか。
俺はよく考えた。すごく真剣に考えた。

――ハッ!

俺は気付いてしまった。ブログシステムの知られざる秘密に。
俺は……。

次回に続く?

2 thoughts on “余白の言葉があった時代

  1. Reply husky 4月 24,2016 4:06 PM

    はじめまして。数ヶ月前にオカルト・クロニクルを知って大好きになり、一昨日、ここに辿り着き、一気に読ませていただきました。
    多方面への造詣の深さを感じさせる、とても楽しい文章で、素敵な情緒があるのに、ちゃんとふざけていて、失礼な言い方ですが、すごく真剣に作られたB級ホラー映画のようで、素晴らしいと思います。
    一番好きだった記事にコメントさせていただきました。
    これからも、勝手に応援しています。

    • Reply まつかく 4月 26,2016 1:05 PM

      >>husky
      こんな古い記事にww
      どうもありがとうですー『勝手に』じゃなく、公式なので、どんどん応援して下さいね。応援することを応援してます!

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