許しを請いたいその時に

誰も電話に出ない――なんてことにならないように。


「ソロ充ですね」
と言われることがある。

最初はその意味がわからなくて「ソロ獣」だと思った。ネットゲーとかで一人でモンスターを狩ることかと思った。
「そうなのか」と思った。しかし過去を思い起こしても、ソロで狩りが出来たためしがない。下手だ。とにかく、すぐ死ぬ。

昔、ウルティマオンラインの達成エリアのボス沸きは一人でこなすことが出来て、なんだか一人前のプレイヤーになれた気がして、うれしくてソレばっかり何週間も一人でやったが、どうだろうか。

そのボスを倒すと『狂える細工師の動く足』というイカした名前の足防具が超低確率で手に入る。ちなみに『狂える細工師の動く足』は2つも手に入れた。高額で売れた。今思い出してもニンマリだ。
だが、そんなマニアックな話を知っているはずはない。

「そうだろうか」と問い直した。
「そうじゃないですか」と言われた。

聞けば、『なんでも一人で行動でき、それを楽しんでる』事をさしてソロ充というのだと。
「そうなのか」と思った。そして「そうだろうか?」とも思った。

たしかに、一人で行動することが多い。
ラーメン屋は当然、回転寿司だって一人で入る。最近は焼き肉だって一人で行ける気がする。一人で焼いて、一人で取り分けて、「ありがとう」「いえいえ」と小さな気遣いにあふれた素敵な宴会が出来る気がする。

最終的には一人でバーベキューもできるだろう。
セックスだって手を使えば一人で出来る。オナニーと呼ぶから負けた感じがするのだ。結婚だって、一人で出来るならやるかもしれない。

別に好き好んで単独行動しているわけではないが、結果的にそうなって、結果的に周囲は「松閣はソロ充」だのと評する。

これは、なんだか友達が居ない――さみしい奴――と評されているように思えて、なんだか歯がゆい。遠回しに「お前は付き合いが悪い、社会性のないウジムシ反社会分子だ。時代が時代なら、魔女狩りの対象だ」と言われている気もする。

「多人数での行動は制約が生まれる。そして軋轢と、反目、裏切りにも目を光らせなきゃならない。キリストが死ぬハメになったのは、『つるんだ』からさ」と俺はうそぶいた。

なんだか上手く言えた気がして、おれは得意な気分になった。
自分が孤高のオオカミになった気がした。餓狼は群れる羊を獲物にするのだ。ふふ羊ども、最後に祈る時間をやる、メェーと鳴きな!

『ただ腹を空かせているだけでは、飢えているとは言えない。飢えないために、常に獲物を探し続けることを『飢える』というのだ』という何処かで聞いた言葉が頭をよぎった。よぎったけど、話とあんまり関係ないので言わなかった。

「いや楽しんでるなら、いんですけど」奴は素っ気なく言った。「多人数じゃ楽しめないって事ですよね?」

「そうかも」と俺は少し動揺した。自分が社会性に欠けているのではないか――そんな不安が首をもたげた。もしかして俺は、一匹狼なんじゃなく、群れから追い出された羊なのではないか。

「ソロ充じゃない」ここに来て、俺は断じた。「全然充実してないもの!」
そうだ。一人でやるのが当たり前すぎて、俺は人として大事な部分を忘れていたのかも知れない。協力、協調、共闘、なんと美しい言葉だろう。俺は泣いた。

文化祭を思い出せ。みなで作り上げた素晴らしい舞台!
ああ、目立ちたがりの、仕切りたがりの、うっとうしい女子がいたっけ!

バンド活動を思い出せ。皆で作り上げた楽曲のなんとグルービーなことか!
ああ、「女が出来たから」ってメンバーが抜けて瓦解したっけ! 曲も結局俺しか書いてなかったっけ!

UOのボス沸きを思い出せ! 役割を決め、勝利することのなんと爽快なことか!
ああ「松閣死にすぎ。装備安すぎ」と手厳しく批判されたっけ!

なんだよ、群れの方が俺を省いてるんじゃないか。ひどいじゃないか。

しかし、そのような反抗的な趣旨のことを言ってしまうと『コミュ障かこいつ。反社会分子乙』と思われるかもなので、俺はただ微笑んだ。

「俺、パンクだから。俺が混ざると集団の団結が乱れるのだよ。だから集団と少しだけ距離を置く。これもある種の社会性だよね」

この、高尚な理屈により、おれは群れを尊重しながらも距離を置き、オオカミのままで居られるぞ。ふふふ。さぁ羊ども、メェーと鳴きな!

とか思ってたが、ふと動物占いをしてみたら、おれ羊だった。メェー……。

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