100匹目の羊が 通り過ぎる前に 2

もしも世界が滅んだら などと考えてしまう事がある


松閣伯オルティアーノです。

引っ越しの予定が迫ってて、本当はこんなことしてる場合じゃないのだけれど、部屋がぜんぜん片付かないので現実逃避に何か書きます。制限時間30分。

今日のタイトルは昔やってたバンドの自作曲の歌詞でした。資料を整理してたら、曲作ってたときのメモが出てきて懐かしい気持ちになったので。

歌詞とかもちゃんと書いてたのですよ?

あのころ、俺は
「これからはエモがくる……!」
と声高に主張してたのだけれど、誰も耳を貸そうとしなかった。

「いや、エモかしらんが、松閣の曲暗いわ……もうちょっとこう、ハッピーなやつ作れないの?」
とか
「もっとこうJKにウケる曲をだな」
とか言われた。今にして思えば、エモに関しては俺が正しかったし、作風に関しては彼らが正しかった。

そうして作ったなかで一番明るいのが、上記タイトル曲だったと思う。

基本的に全ての歌詞に物語があったんだけど、上記のは――

若く希望に燃えた少年が、旅に出て、ようやく自分の無力と無知を知る。そこで必死に足掻くけど、背伸びするけど、気ばかりが焦って、自己嫌悪の日々。
んで、毎晩眠りに落ちる前に、こんな風であれば良いな、あんな風であれたら良いな、と妄想して――やがて100匹目の羊が通り過ぎて行く。

という話だったと記憶してる。
読み返すと、たしかに暗い。

他にも

・人生に悩んだ青年が、ただ繰り返される徒労と失望と虚無に疲れながら、それでもギリギリの場所でマシな人生を目指して生きる。



・(『あなた』は妄想のなかで)大地に種を蒔く。それが木になり、木が森となり、その森に鳥たちがやってくる。そこには花園のような場所もあって、その花が咲く広場に少女がやってくる。

理由は忘れたけど、その平和な森に脅威が訪れる。鳥たちが動物たちが少女を助けよう、逃がそうとするが、すでに手遅れ。森は焼かれ、動物は追い払われ、少女は死ぬ。

少女は小高い丘の上、その付近で一番早く朝日を浴びる丘の上に葬られる。彼女は安らかに眠る――太陽が死んでしまうその日まで……。
彼女を救えたのは妄想を生んだ『あなた』だけだったのに、『あなた』はそうしなかった。あなたはロクでもない人殺しだ。



・嘘つきの集まる酒場がある。ここで1番の嘘つきは誰なのだろう。ほら、この人はこんな嘘をついているよ。ほら、この子はこんな嘘を重ねているよ。でも、そんな酒場があるというのが嘘。


とかこんな感じで、もうよくわからない。

けど今にして思えば、なんとなく、俺のつくる小話の原型だのルーツだのがあるような気はする。

確信はないが、てきとうな小話をデッチ上げるのは得意なのかも知れない。

このデッチ上げの才能を、どうにか活かせないか、と俺は常日頃からアイデアを模索してきた。なにかに使えるんじゃないか、この才が俺に莫大な富と名誉を運ぶのではないか――。

そんなあるとき。
夕暮れの公園で、俺はある少女に出会った。

俺がベンチに座ってぼんやりしていると、涙を目の端にためながらやって来て、彼女は俺と同じベンチに座った。

ベンチの端と端、彼女のすすり泣く声だけが届く距離だった。

「どうして泣いているのですか?」

と聞くも、彼女はすぐには答えなかった。

空は見事な茜色で、それを背景に、かすれた絵筆で描かれたような雲がいくつか心細く浮かんでいた。それは、すこし目を離しただけで、幽霊よりも儚く消えてしまいそうな、そんな雲だった。

羽音も届いてこないほど遠くを、鳥たちが飛んでゆくのが見える、迷いなく西へ、きっと寝心地のいい巣へと帰るのだろう。

「アニメが終わるの」

と、ようやく彼女が口を開いた。

大好きだったアニメが、ポリキュアが終わってしまう。最終回が来てしまう。
彼女はその事実を口にする事で、現実と向き合うことを余儀なくされ、また打ちのめされたように泣き出した。

俺は、ようやく自らの才能を発揮する場所を見つけたと思った。

この日、この夕方、この小さなヒロインの涙を止めるために、俺は神から作話の才能を授けられたに――違いない。

俺は「ポリキュアはね」から話を始める。

ポリキュアはずっと同じ人が、その役目を担うことができないのだ、と。

美少女戦士というのは、著しくエネルギーを消耗する。だから、あのまま続けていたら、ポリキュアの2人はきっと死んでしまっていたのだよ。とても危険なことなんだ。

だから、命を燃やし尽くすまえに、誰かが次のポリキュアを受け継がなければならない。いままでも、これからも、そうやってポリキュアはポリってきたのだよ。

少女はようやく俺のほうを見て、訊ねた。

「そうやって、ポリってきたの?」

俺は少女のほうに顔もむけず、ただ西の空を眺めたまま「そうさ」と続ける。

古い文献を探せば紀元前3000年ごろのパピルスにもポリキュアの活躍、そしてポリリっぷり、つまりはポリリズムを見つける事ができるのだよ。

昔はね『限界までポリリズる』――つまり、死に至る直前まで担う、というのがポリキュアのしきたりで、義務だとも考えられていた。

そんなふうにポリリズり、ポリリズれば、ポリリズるときに、よくない結果になるに決まってる。歴史書を見れば、幾人もの少女たちが健気に犠牲なってきた事がわかる。

江戸時代末期には、ある少女が無理してポリリズり続けたため、消耗しきってあやうくポリリズミングの系譜が断たれてしまうところだったんだ。
西洋から伝わってきた魔女の秘薬の助けが無ければ、きっとポリキュアは明治時代を待たずに終わっていただろう。鎖国政策が終わり、文化の交換が再開されたおかげで、なんとかポリキュアの歴史――その命脈は断たれずに済んだのだよ。

過去から脈々と受け継がれ、そして未来へ繋がってゆく。

ひとつひとつの『終わり』は悲しいけれど、それは新しいポリキュアとの出会いをも意味するんだ。彼女たちが君の前から姿を消すのは、君を『いま以上の悲しい状態』にさせない為でもあるんだ。だから君の前から去る彼女たちを責めないでやってほしい。

そして、もしかしたら、次のポリキュアは君かも知れない。

だからもう、泣かないで。ポリキュアは強くなくちゃいけない。悲しむな、ってことじゃない。悲しみは人を優しくする。君はその悲しみを胸に、これからの人生に立ち向かってゆかなければならないんだ。

タフでなければ生きてはゆけない。でも優しくなくちゃ生きてゆく意味がない。
ダメでもいい、でも優しい人でいてほしい――。
ポリキュアが望むのは、きっと、そんな君なんだよ。

ふと、西の空から少女の方へ視線を移してみれば、彼女の横に母親らしき女性が立っており、申し訳なさそうに、たよりなく俺に会釈をした。すみません、この子ったら、とでも言いたげに。

少女は母親の手をとり、ベンチから飛び降りるように立ち上がり、俺の方を真っ直ぐにみて、確認するかのように訊いてきた。

「おじさん。ポリキュアは、受け継がれるのね?」

「そう。保証するよ」俺はなるべく穏やかに微笑んで、言った。

「ちなみに、おじさんがね、いまのポリキュアなんだよ」

母親は俺を通報した。




2 thoughts on “100匹目の羊が 通り過ぎる前に

  1. Reply のむヨーグルト 12月 28,2017 6:50 PM

    通報しました(真顔

    松閣さんがブタ箱にぶち込まれたら、
    そこで見聞きした『本当にあった怖い話』がオカルトクロニクルに掲載されるのでしょうか。
    とっても楽しみです。
    早くシャバに戻ってきてくださいね。

    • Reply まつかく 12月 29,2017 12:50 AM

      >>のむヨーグルトさん
      たぶん、おれが一度捕まってしまえば、「叩けばほこりが出る」というやつで、極刑まであり得る余罪の山なので、二度とシャバには戻ってこれません。
      そうして牢名主?的な人の愛人みたいのにされて、毎日のように慰み者にされるのです。
      死刑になる日までに、その体験談――生々しい獄中BLストーリーをお届けできれば幸いです。

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